年頭所感

明けましておめでとうございます。

新年を迎えるにあたり、決して今まで語ることの無かった私の今日までの生き様をここに記しておきます。

それは昨年春に三男修大が結婚し、年末に次男真也が婚約したことで初めて家族に語っておこうと決心し、元旦の朝、今ここで記しています。

私は大学を卒業し保険業界に挑みました。1988年のことです。その後、1992年に独立し保険代理店会社を創業すると同時に結婚し、翌年1993年に長男智哉が誕生しました。

保険業界は当時護送船団方式で大蔵省(現在は財務省金融庁)の業法による監督管理下にあり免許事業としての規制を受けておりました。それは金融業界においては、消費者保護のため他業界で見られる近代資本主義では当たり前の自由競争を禁止していたということです。つまり保険料も補償内容も全保険会社で同一という内容でした。銀行業界においての金利、証券業界においての手数料も然りです。

しかし時代は動きました。100年前に英国シティで発生した金融ビッグバン(業法改正による規制緩和)が我が国日本において1996年行われ、保険・銀行・証券会社の子会社方式による相互参入が認められ、世界競争を勝ち抜くため財閥系金融機関の合併などが行われた結果、今日の金融機関が誕生しました。

この激動の金融業界の中で私はまずホールセール分野において1997年に大手商社が子会社として誕生させた保険ブローカー会社を設立させました。それまでの保険業界の販売チャネルには今日では当たり前の保険会社によるダイレクト通販などは無く、保険代理店しか無かったからです。グローバルスタンダードな国際的大企業にしか提供されていない保険スキームを海外タックスヘイブンに保険会社を設立して国内大企業にも提供することを考え、日本初の独立系保険ブローカーのキャプティブ保険会社による再保険スキームを説明するため、国内のほぼ全産業の最大手会社はもちろん、そのグルーブ会社まで一人で乗り込んで行きました。また同時にその後、厳しい保険業法の規制を受けながらも独立系初の保険会社の設立を模索していました。

一方、リテール分野においては「保険会社主導から消費者主導へ」をスローガンに1998年に消費者自身が自動車保険を比較して選択し加入できる日本初の保険比較サイト会社を設立し、東京渋谷のビットバレーと呼ばれる当時のIT業界の最先端へ進出しました。

その後、2000年に日本道路公団が民活分営化されJHとなり日本の高速道路のETC幕開けを受け、日本初の「ETC車載器とETCカードのセット」を開発し販売を開始しました。

今年57歳になる私が、当時33歳の自分のことを振り返ると「若かった。時代が来るまでの我慢が足りなかった」とまず感じています。

つまり、時代の変革期に時代の先頭を走り、まだ誰もやっていないスキームを創り上げ会社を設立してきましたが、消費者がそして業界がまだついてきてくれなかったということです。私は痺れを切らし、2005年冬に全ての会社の株式を売却し、代表取締役を辞任し、現在の住まいで39歳から隠居生活に入り、毎日フィットネスジムに通うだけの生活で今日まで生きてきました。

私の人生をザックリ語るとこんな感じの人生を歩んできました。

次に今日までの人生を振り返り、ここに私の人生観を記しておきます。それはまず何事も渦中に行き、渦の中心で仕事をするということです。なぜなら同じ思いの同志となる人がそこには必ずいるからです。

また「ガリレオの地動説」を肝に命じることです。人々が天が太陽が動いていると考え天動説が説かれている時代において変人扱いされようが、いや地が地球が動いていると地動説を見つけ出し唱え続けることです。必ず後生の科学がそれが正しかったと証明してくれます。ある意味、創造的で芸術的な発見や開発はそういうものです。

そこで必要となるのが、その時代が到来するまで我慢することです。この我慢が私には欠けていました。だから一昨年来より厳しい登山に励み、この我慢する力の養おうと思っております。

「10年ひと昔」「石の上にも3年」と昔の人々は言いました。

それは本当だったと感じています。10年かけて時代は動き、時代が変わって初めて人々は動き始める。そこまでの我慢が必要不可欠だったと痛感しています。

最後になりますが、今年の私の目標は家内の佳子と北アルプス立山へ登山すること。次に義理の母を連れて富士山を望む旅に出ること。そして両親に毎朝、毎昼食後にコーヒーを淹れることです。

本年も一年間どうぞよろしくお願いします。

より美しくより速く!

成功するまで諦めない!

写真は東山魁夷「道」

2022年元旦 長谷川進

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