知識 見識 胆識

伊藤忠商事 元会長 瀬島龍三氏

「歴史を無視すれば、歴史に処断される」と瀬島氏はよく言うが、その歴史の基礎となる情報集取の姿勢を四つ挙げている。

1我々はともすると目先の現象だけを追いかけ易いが、それはダメだ。社会現象には必ず大きな枠組みがあって、その中で変化が起きるのだから、まず基本的なものの大局的なものを掴む必要がある。もっとも大局を掴めといっても、学者的な勉強をしろ、と言うものではない。社会を取り巻く環境の変化と自分の仕事との関係をいつでも基礎的、歴史的に見つめよと言うことである。例えば「思考の三原則」と言うものがある。第一に目先にとらわれず、長い目で見ること。第二に物事の一面だけを見ないで出来るだけ多面的、全体的に観察する。第三に枝葉末節にこだわることなく根本的に考察すること。とかく人間は手取り早く安易に、と言うことが先に立って、目先にとらわれたり、一面からしか判断しなかったり、あるいは枝葉末節にこだわって、物事を本質的に見失いがちである。これでは本当の結論は出てこない、物事と言うものは、大きな問題、困難な問題ほど長い目で多面的かつ根本的に見てゆくことが大事で、特に上に立つ者ほど、これを心がけなければならない。

2結局、深く読み、深く聞き、深くたたくと言うことになる。新聞、雑誌は量を追ってはいけない。自分のニーズに照らし合わせながら、まずきちんと読まなければならない。追いで人の話は出来るだけ権威のある人に接して丹念に耳を傾けること。そして自分なりのイメージ、解釈が出来たら、自分より遥かに練達した人物にその考えをぶつけてみてサーベイすることだ。自分は20代からそう言う訓練を受けてきた。

3激動の時代とは、何が起こるか判らぬ時代のことで、予測されるのは変化のみである。そう言う時は先入観は絶対に持ってはいけない。本来、人間というのはいつも事実を楽観的にか、悲観的にか、偏って見がちだが、どちらかというと楽観的に考える習慣が強いから、その習性をよく考えて、自分の希望的観測はきちんと整理しておかねばならないし、事実と希望的観測とを明確に区別して考える訓練を積んでおく必要がある。「人間は事実を見なければならない。事実が人間を見ているからだ」とはチャーチルの名言である。

4本来、知識などというものは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られるもので、学校へ行って講義を聞くだけでも、あるいは参考書を読むだけでも身に付けられる。しかしそれだけでは、人間の信念とか行動力にはならない。もっと根本的なもの、もっと権威あるものが加わらないと役に立たない。それは何かというと見識である。例えば一つの問題について、いろいろな見方や解釈がある。いわゆる知識だか、問題を解決すべく「こうしよう」とか、「かくあるべし」という判断は、人格、体験あるいはそこから得た悟りなどというものが内容になって出てくる。すなわち見識である。ところがこの見識だけでは、まだ十分とは言えない。その人物の見識が高ければ高いほど、低俗な連中は理解出来ない。だから反対する。その反対を妨害を断固として排除し、実践する力を胆識という。つまり、決断力や実行力の伴った知識や見識が胆識ということになる。